前回、我々は属人的な権力(Power)が、いかにして客観的な「制度」や「ルール」へと移行し、持続可能な「正統性」を獲得するかを論じた。組織が合法的支配の段階に至れば、権力は個人の資質から切り離され、システムによって担保されるかに見える。
しかし、人間はこの「制度」や「ルール」という抽象的な概念に、無条件で心理的な服従を示すわけではない。我々は、その制度を体現する「個人」の姿を見て、その権威を直感的に判断し、受容する。制度化された権力は、それがふさわしい「顔」—すなわち「権威」の象徴—をまとって初めて、円滑に行使されるのである。
本稿では、この権力の象徴的側面、すなわち「シンボリック・マネジメント」と、その実践技術としての「印象操作」について、社会学者アーヴィング・ゴッフマンの理論を援用しながら分析する。権力は、制度化されると同時に、「演じられる」必要があるのだ。
ドラマツルギー:権力という「劇場」
社会学者アーヴィング・ゴッフマン(Erving Goffman)は、その著書『日常生活における自己呈示』において、社会生活を「劇場(Dramaturgy)」のメタファーを用いて分析した。彼によれば、人々は他者(観客)に対し、自らが望む特定の「印象」を与えるために、日常的に「演技(Performance)」を行っている。
この視座を権力論に適用するならば、権力者とは、組織という劇場の「表舞台(Front Region)」において、自らが「権力者(=状況を制御し、信頼に足る指導者)」であるという役割(Role)を、最も説得力をもって演じる俳優に他ならない。この「権威ある自己」を演出する技術こそが、印象操作である。
権威を補強する「シンボル(象徴)」
権力者が自らの「演技」を補強するために用いるシンボル(道具立て)は、多岐にわたる。これらは、組織の構成員(観客)に対し、権力者の地位と能力に関する無意識的なシグナルを送る。
舞台装置(Setting)
権力者が占める物理的空間は、権威の非言語的な表明である。
- 執務室の設え:他の部屋からの物理的な隔離、広さ、調度品(例:重厚なデスク、背後の書棚)、窓からの眺望などは、その地位の排他性と重要性を象徴する。
- 物理的距離と高さ:会議における「上座」という位置取り、あるいは演台やステージといった「高さ」は、他者との物理的な差異を創出し、心理的な優位性と支配権を視覚的に強化する。
外見と振る舞い(Appearance & Manner)
権力者の身体そのものと、それに伴う振る舞いもまた、強力なシンボルである。
- 外見(服装・小道具):高品質なスーツ、特定の制服、あるいは(スティーブ・ジョブズのタートルネックのように)意図的に選ばれた非伝統的な服装は、その人物のアイデンティティと「他者とは異なる」地位を規定する。
- 立ち振る舞い:ゆったりとした動作、過度に反応しない落ち着き、制御されたアイコンタクトといった非言語的行動(Nonverbal Behavior)は、「冷静沈着さ」と「状況をコントロール下に置いている」という印象を与える。
- 言葉遣い:第11回の計画で言及した「冷静沈着に説得力のある言葉を選ぶ」ことは、この核心である。感情的な語彙を排し、論理的かつ断定的な口調を用いること、あるいは戦略的な「沈黙」を用いることは、情緒的な反応を超えた「合理性」と「決断力」を演出し、聞き手に専門性と権威(Expert Power)を感じさせる。
「演技」が現実を創る:自己成就的予言
これらのシンボリック・マネジメントは、単なる「見せかけ」や「装飾」ではない。それは、組織の「現実」そのものを構築する力を持つ。
「勝者のように振る舞う」という「演技」は、二重の機能を持つ。第一に、それは権力者自身の内面にフィードバックをかける。自信に満ちた振る舞い(演技)は、権力者自身の認知的な確信を強め、困難な決断を可能にする(第12回のリスクマネジメント論にも繋がる)。
第二に、そしてより重要なことに、その「演技」は周囲の「観客」の行動を規定する。部下たちは、権力者の「権威ある」振る舞いを見て、「この人物は信頼できる指導者だ」と(たとえ無意識的にでも)判断し、その指示に自発的に従うようになる。この「従う」という行動が、結果として権力者の「演技」を「現実」として裏打ちし、その権力をさらに強固なものにする。これが「自己成就的予言(Self-fulfilling Prophecy)」の力学である。
制度と象徴の統合
権力の維持とは、第10回で論じた「制度化(合法的支配)」というハードな基盤と、本稿で論じた「シンボリック・マネジメント(印象操作)」というソフトな演出が、矛盾なく統合された状態において達成される。
制度が権力の「骨格」であるならば、象徴操作は権威の「肉体」であり「表情」である。どれほど優れた制度も、それを体現する者が「権威にふさわしくない」と直感的に判断されれば、その機能は著しく阻害される。ビジョナリーは、自らのビジョンを制度に埋め込むと同時に、自らがそのビジョンの「体現者」としてふさわしい存在であることを、戦略的に「演じ」続けなければならないのである。
次回は、この権威の演出をさらに一歩進め、権力者自身が単なる「役割(ロール)」を超え、組織の「規範」や「教義(バイブル)」そのものへと昇華していくプロセス、「パーソナル・ブランディングと『教義』の形成」について論じる。