第02回:権力のパダイムシフト

前回(第01回)、権力を「他者の行動や結果に影響を与える潜在的な能力」と定義し、ビジョン実現のための不可欠なリソースとして位置づけた。しかし現実的に、権力に対して抱かれるアンビバレント(両価的)な感情を拭い去ることは簡単ではない。それは、権力の行使がしばしば組織の機能不全や倫理的荒廃と結びつけて観察されるからである。

この権力への抵抗感や嫌悪感の原因は、主に「権力そのものを自己目的化するヒト」の振る舞いにある。我々は、理念や組織目標の達成ではなく、自らの地位や影響力の拡大のみを追求する、いわゆる「権力の亡者」が実際に存在していることを知っている。彼らにとっての権力は、ビジョン実現の「手段」ではなく、自己の優越性を確認し、他者を支配するための「目的」そのものである。

権力の亡者に対峙する

権力を自己目的化する者は、組織政治の力学を(しばしば暗黙知として)深く理解し、活用する。彼らの関心は、公正な実績評価や組織全体の最適化ではなく、自らにとって有利なリソース配分、情報流通のコントロール、そしてライバルの無力化に向けられる。

彼らの行動原理を理解することは、単なる処世術ではなく、組織防衛のための必須要件である。なぜなら、ビジョンを持つ者が権力のメカニズムを直視・理解することを怠れば、組織の意思決定は、この「権力の亡者」たちによって容易に乗っ取られ、ビジョンとは無関係な(あるいは反する)方向へと歪められてしまうからである。彼らがどのような戦略を用い、何をインセンティブとして行動するかを理解することなくして、彼らの影響力に対抗することは不可能である。

権力の真空がもたらすリスク

最も危険な状況は、ビジョンと倫理観を持つ「善良な人々」が、権力を「汚れたもの」「悪」とみなし、それに関わることを積極的に忌避することによって生まれる。

彼らが権力メカニズムから意図的に距離を置くとき、組織内に「権力の真空」が生じる。組織論的に、権力の真空は長続きしない。その真空は、権力獲得に最も強い動機を持つ者、すなわち、権力を自己目的化する者たちによって必然的に満たされる。

結果として、組織は「権力について知ることを拒否した善良な人々」と、「権力を知り尽くし、それを私的に利用する人々」によって二極化する。そして後者が、前者を含む組織全体を支配することになる。この構造こそ、「権力者が目的ではない人(ビジョナリー)こそ、権力について知る必要がある」という本連載の核心的命題の根拠である。

権力=中立的なツール

したがって、本連載が提唱するのは、権力をめぐる根本的なパラダイムシフトである。すなわち、権力を「悪」あるいは「善」といった道徳的判断の対象からいったん切り離し、それを「中立的なリソース」あるいは「エネルギー」として捉え直す視座である。

権力は、火や電気エネルギー、あるいは金融資本といったリソースに類似している。それ自体に善悪の属性はない。火は暖を取り、文明を発展させることもできれば、すべてを焼き尽くす凶器ともなり得る。重要なのは、そのエネルギーを誰が、どのような目的で、いかにコントロール(制御)し、行使するかである。

ビジョンを持つ者にとって、権力は忌避すべき対象ではなく、自らの理想を組織という複雑系の中で実行・実装するために必要な、最も重要なツールである。

ビジョナリーの適性と責務

むしろ、権力欲に駆動されていない者、すなわち権力を自己目的化しない者こそ、権力を道具として冷静に、かつ倫理的に活用する適性を持つ可能性が高い。彼らにとって権力は、自らの地位を誇示するためのものではなく、あくまでビジョンを実現するための「手段」であるため、権力によって自己が肥大化し、腐敗するリスクが低いからである。

ビジョンを持つ者の責務は、権力から逃避することではない。権力のメカニズムを冷静に理論として学び、それを獲得し、ビジョンの実現という目的に向けて自制的に行使する経験を積むことである。

次回、第03回では、善良な人々がこのツールとしての権力を獲得することを阻害する、具体的な心理的・構造的障壁(「公正世界仮説」や「合議制の罠」など)について詳細に分析する。

でるたま~く

グローバル戦略の支援企業でCEOを務めています。英国で高校教師を務めた後、ドイツで物理学の研究を続けました。帰国後はR&D支援のマネージャー、IT企業の開発PMを経て現在に至ります。趣味はピアノとギター演奏。

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