前稿(第07回)では、組織内での「可視性」の獲得と「アジェンダ設定」という、権力獲得の基盤構築について論じた。しかし、自らの存在と議題を認識させただけでは、権力は確固たるものとならない。組織はヒエラルキー(階層構造)という現実的な権力構造によって運営されており、その構造内で自らより上位に位置するアクター、とりわけ直属の上司は、より広範なリソース(予算、人員、情報)や、さらに上位の意思決定層へのアクセスを実質的に支配する「ゲートキーパー」として機能する。
したがって、ビジョンを持つ者が権力を獲得し、そのビジョンを組織的に推進するためには、このゲートキーパーに対して能動的に影響力を行使する戦略が不可欠となる。本稿では、この「Managing Up(上方管理)」と呼ばれる戦略的実践について、その本質と方法論を解明する。
Managing Up の再定義:迎合から戦略へ
「上司への働きかけ」は、しばしば「ゴマすり」「迎合」「忖度」といった、非生産的かつ非倫理的な行為として否定的に捉えられがちである。確かに、表層的な行動、例えば単に「上司の気分を良くさせる」ことだけを目的とした追従は、本質的な権力構築には寄与しない。
しかし、本稿で論じる「Managing Up」とは、そのような従属的な迎合ではない。それは、「上司を、自らのビジョン実現とキャリア構築のために活用すべき重要な組織リソースの一つとして捉え、その関係性を意図的かつ戦略的に構築・管理する技術」である。この視座に立てば、上司は単なる評価者ではなく、自らが影響力を行使し、パートナーシップを築くべき対象となる。
上方管理の本質:上司の「成功」への貢献
戦略的な「Managing Up」の核心は、自己の利益を一方的に追求することではなく、「上司の成功に貢献する」ことにある。上司もまた、組織のヒエラルキーの中に位置する一人のアクターであり、彼自身の目標、達成すべきKPI、そして上位層から受けるプレッシャーに直面している。
したがって、最も効果的な上方管理とは、以下のプロセスを経る。
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上司の課題と関心事の正確な把握:
上司が公式・非公式に何を重視し、何を組織から求められ、どのような政治的・業務的プレッシャーに晒されているかを徹底的に分析・理解する。彼が「気にすること」は、彼の評価基準そのものである。 -
上司の「弱点」の補完と「強み」の最大化:
上司の能力やリソースが不足している領域(弱点)を先回りして補完し、あるいは上司の強みが最大限に発揮できるよう支援する。 -
課題解決への能動的貢献:
上司の最大の課題(Pain Point)を特定し、その解決策を提示・実行する。これは、上司を「助ける」という受動的な姿勢ではなく、上司の成功を「プロデュースする」という能動的な姿勢である。
「不可欠な存在」としての自己確立
このプロセスを通じて達成されるべき戦略的目標は、自身を「上司がその地位と成果を維持・向上させるために、不可欠な存在」として位置づけることである。
上司の気分を一時的に良くさせることは、代替可能な「快適さ」しか提供しない。しかし、上司のキャリア上の成功や課題解決に深く貢献することは、代替困難な「価値」を提供する。上司が「この部下なしでは、自分の現在の成果(あるいは将来の昇進)はあり得ない」と認識した瞬間、両者の権力関係は形式上の上下関係を超え、実質的な「相互依存関係」へと移行する。
この段階に至って初めて、部下は上司に対して真の影響力(レバレッジ)を行使することが可能となる。上司は、この「不可欠な存在」を失うリスクを回避するため、その部下の要求(リソース配分、権限委譲、キャリア支援)を積極的に受け入れざるを得なくなる。
戦略的パートナーシップの構築
「Managing Up」は、権力構造への単なる適応や迎合ではない。それは、ヒエラルキーという既存のルールを利用しつつ、上司という最も身近な権力リソースを「管理」し、対等かつ戦略的なパートナーシップを(水面下で)構築する高度な政治的技術である。
この技術は、ビジョナリーが自らの構想を実現するために必要なリソースと支援を、組織の上層部から引き出すための鍵となる。それは、上司を「支配する」ことではなく、上司の成功を通じて自らの影響力を「拡大する」戦略なのである。
次回、第09回では、こうした個別の戦略が、具体的にどのような「権力獲得の経路(パターン)」として結実していくのか、組織内でのキャリア・ダイナミクスを分析する。