本連載講座「権力の構造と戦略」は、一貫して「権力(Power)」という現象を、道徳的な善悪の判断から切り離し、組織や社会を動かすための「中立的なリソース」あるいは「道具」として客観的に分析することを試みてきた。
我々は、権力を忌避する心理的障壁(第3回)から始まり、その源泉(第4回)、ネットワーク構造(第5回)、そして権力を収める「器」としての組織デザイン(第6回)といった構造的理解を進めてきた。さらに、可視性の獲得(第7回)、上方管理(第8回)といった獲得の戦術(第9回、第10回)を経て、獲得した権力をいかに維持(第10〜12回)、そしてリスク管理(第13回)するかという、極めて実践的かつ戦略的な技術(Technē)を詳述してきた。
これらの分析は、時に冷徹であり、組織政治の現実(Realpolitik)を直視するものであった。しかし、権力のメカニズムを理解すること(パワー・リテラシー)は、それ自体が目的ではない。我々は今、連載の終着点として、最も根源的な問いに立ち返らねばならない。
すなわち、「この強力な道具を、何のために(For What)行使するのか?」—権力と倫理のジレンマ、そして本講座の原点である「ビジョンの実現」についてである。
権力のジレンマと倫理的腐食の罠
権力のメカニズムを学ぶことは、諸刃の剣である。権力獲得の技法は、崇高なビジョンを実現するためにも、利己的な野心を満たすためにも等しく使用可能であるからだ。
さらに深刻なのは、第13回でも触れた「権力の内的リスク」である。権力は、それを保持する者自身を内側から変容させる(腐食させる)傾向を持つ。心理学が示す「権力のパラドックス」とは、当初は他者のために尽くそうという利他的な動機で権力を求めた者(善良なビジョナリー)が、権力を手にした途端、その地位を維持すること自体が自己目的化し、共感性を失い、自己中心的になっていくプロセスを指す。
このジレンマ—すなわち、「ビジョンのために権力が必要だが、権力がビジョンを腐食させる」—こそ、すべての指導者が直面する最大の倫理的課題である。
「善良なビジョナリー」の責務の再確認
では、このジレンマを前に、ビジョナリーは権力から距離を置くべきであろうか。本連載の結論は、断固として「否」である。
第02回で論じたように、善良な人々が権力を「汚れたもの」として忌避し、そのメカニズムの学習と実践を放棄するならば、そこに生じる「権力の真空」は、権力そのものを自己目的化する者たち(権力の亡者)によって即座に満たされる。
その結果は、ビジョンなき組織運営、私利私欲によるリソースの収奪、そして組織全体の停滞と腐敗である。権力を知的に理解し、戦略的に獲得・行使する能力(パワー・リテラシー)は、ビジョンを持つ者にとっての「選択肢」ではなく、「倫理的責務」である。自らのビジョンと、それが守ろうとする人々を防衛するための、知的武装に他ならない。
権力と倫理の統合:「目的」による自制
権力という道具の暴走を防ぎ、倫理的腐食の罠を回避する唯一の方策は、権力行使を、常にそれよりも上位の「目的(ビジョン)」に従属させ続けるという、強靭な自己規律である。
権力は、行使する者の「人格」や「道徳観」といった曖昧なものによってではなく、その権力行使が「いかなる目的に奉仕しているか」によって倫理的に評価されねばならない。
- 手段としての権力: 権力は、ビジョンを実現するための「手段」であると徹底して位置づける。もし権力の行使が、そのビジョン(例:顧客への価値提供、社会の革新、組織の持続的発展)から逸脱し、自己保身や利己的利益の追求に用いられていると自己認識したならば、それは直ちに是正されねばならない。
- 透明性と説明責任: 権力者が自らの権力行使の「理由」を、自らのビジョンと言葉で一貫して説明する責任(Accountability)を負うこと。これが、権力の私物化に対する制度的な(あるいは文化的な)防波堤となる。
第12回で論じた「理念の戦略的表明」は、単なる権力維持のテクニックである以上に、自らをその「理念」によって縛るという、権力者自身への「倫理的拘束」としても機能するのである。
ビジョンの実現という実践へ
本連載講座「権力の構造と戦略」は、ここに完結する。我々は、権力がいかに機能するかという「地図」を手に入れた。しかし、地図は、それ自体が目的地(ビジョン)を決定するものではない。
この講座で学んだ権力のメカニズムは、冷徹な現実を直視するための分析ツールである。それを自らのビジョン実現と自己防衛のために、いかに自制的かつ戦略的に活用していくか。その実践と倫理的判断の重責は、この地図を手に取った読者一人ひとりの双肩にかかっている。
情報を鵜呑みにするだけではなく、自ら考え、行動し、そして自らのビジョンに責任を持つこと。それこそが、権力という強力な道具を扱う「善良なビジョナリー」に求められる、最後の、そして最も重要な資質である。