第10回:孤高の日本製スタンダード「Roland JC-120」と、デジタル音響設計の現在

真空管アンプの系譜から外れた「標準器」

本連載では、Fenderの黎明期から始まり、Marshall、VOXといったブリティッシュ・サウンドの勃興、Mesa BoogieやSoldanoによるアメリカン・ハイゲインの確立、DiezelやBognerら欧州勢の台頭、そしてMatchlessに代表されるブティック・アンプの潮流に至るまで、一貫して「真空管(Vacuum Tube)」を増幅素子の根幹に据えたアンプリファイアの進化の系譜を追ってきた。

これらのアンプはすべて、真空管の飽和(Saturation)という非線形特性をいかに制御し、音楽的表現に昇華させるかという命題に対する、各時代のビルダーからの回答であった。

しかし、この真空管アンプの歴史とは全く異なる設計思想に基づきながら、1975年の発表以来、40年以上にわたって製造が継続され、世界中のリハーサルスタジオ、ライブハウス、レコーディングスタジオで「標準設備」としての地位を確立した、特異な日本製アンプが存在する。それが、RolandのJC-120 Jazz Chorusである。

本稿(最終章)では、この孤高のスタンダードであるJC-120の音響哲学を分析し、本連載で得た知見が、現代のデジタル・アンプシミュレーター環境においていかなる意義を持つかを総括する。

Roland JC-120 Jazz Chorus

JC-120は、その設計思想の根本において、本連載で取り上げた他のすべてのアンプと対極に位置する。その目的は「歪ませること」ではなく、「いかに歪ませないか」という点にあった。

  • 技術的特徴:
    ソリッドステート設計JC-120は、増幅素子に真空管を一切使用せず、トランジスタ(Solid State)を採用している。これは、真空管の持つ不安定さや、飽和による音色変化を意図的に排除し、入力された信号を可能な限りリニア(直線的)に、忠実に増幅することを目的とした設計である。
  • 音響的特徴(1):
    徹底されたクリーン・トーンそのサウンドは、しばしば「クリスタル・クリーン」あるいは日本語で「どクリーン」と形容される。12インチ・スピーカー2基を搭載し、合計120W(60W+60Wのステレオ構成)の出力を持つパワーアンプ部は、極めて広大なクリーン・ヘッドルーム(歪み始めるまでの許容範囲)を誇る。 真空管アンプが持つ温かみや中音域の粘り(コンプレッション感)とは無縁であり、硬質で、解像度が高く、ピッキングのアタックを冷徹なまでに忠実に再生する。この「アンプ自体の個性を(歪みによって)付加しない」という特性が、エフェクター・ペダルのプラットフォームとして、あるいはカッティングやアルペジオの音響的基盤として、プロフェッショナルの現場で絶大な信頼を得る理由となった。
  • 音響的特徴(2):
    Dimensional Space Chorus JC-120のアイデンティティを決定づけたもう一つの要素が、世界で初めて搭載されたステレオ・コーラス・エフェクト(”Dimensional Space Chorus”)である。 これは、片方のスピーカーからは原音(ドライ音)を出力し、もう片方のスピーカーからはピッチ(音程)を微細に揺らした音(ウェット音)を出力するという、空間合成方式のコーラスであった。この2つの音が空気中で混ざり合うことで生まれる、深く、立体的で、揺らぎのある音響効果は、それまでのいかなるエフェクトとも一線を画すものであった。この唯一無二のコーラスサウンドこそが、JC-120を歴史的銘機たらしめた最大の功績である。
  • 適合ジャンル:
    ジャズ、フュージョン、AOR、ポップス、ニューウェーブ
  • 使用アーティスト:
    アンディ・サマーズ(The Police)やロバート・スミス(The Cure)が、そのクリーン・トーンとコーラスを駆使して80年代のサウンドスケープを構築した。また、ジェイムズ・ヘットフィールド(Metallica)がレコーディングでクリーン・パート専用機として使用していることは、その音響的特性を象徴する事例である。

連載未踏の名機群

本連載では、歴史的な重要度と音響的個性の明確さに基づきモデルを選定したが、紙幅の都合上、原案に含まれつつも詳述できなかった名機群が数多く存在する。

  • Marshall JCM2000 (DSL/TSL):
    90年代後半に登場。JCM800や900の系譜を継ぎつつ、多チャンネル化とさらなるハイゲイン化を実現し、幅広いジャンルのロックギタリストに受け入れられた。
  • Peavey 5150/6505:
    エディ・ヴァン・ヘイレンのシグネチャーとして開発され、Soldano SLO 100の系譜に連なるアグレッシブなハイゲイン・サウンドは、90年代以降のメタルコアやハードコア・シーンのスタンダードとなった。
  • Fender Supersonic:
    Fender自身による、ヴィンテージ・トーン(Bassman, Vibrolux)とモダン・ハイゲインを両立させようとした意欲作。

これらもまた、アンプシミュレーターにおいて重要なモデリング対象となっている。

アンプの「個性」を知り、シミュレーターで「未来」の音を創る

本連載は、「ギターアンプの進化論」と題し、Fenderのクリーンから始まり、欧州のモダン・ハイゲイン、ブティック・アンプ、そして日本のJC-120に至るまでの、各時代を象徴するアンプリファイアの音響的・技術的背景を巡ってきた。

我々は、現代のデジタル・アンプシミュレーターという強力なツールを手にしている。そのリストに並ぶ「59 Bassman」や「Plexi 1959」、「Dual Rectifier」といった名称は、もはや単なるプリセット名ではない。

  • 「Bassman」は、ブリティッシュ・サウンドの源流となった温かいクランチの選択肢である。
  • 「Plexi」は、音圧と引き換えにパワーアンプを飽和させるという、轟音への渇望の象徴である。
  • 「Rectifier」は、整流方式の選択とGEQの活用によって「ドンシャリ」という音響を設計するツールである。
  • 「JC-120」は、歪みを徹底的に排除した、コーラスのためのクリーンなキャンバスである。

これらの「元ネタ」となった実機の設計思想、歴史的文脈、そして音響的「個性」を理解すること。それこそが、無数の選択肢の中から、自らの音楽的意図に合致したモデルを論理的に選び出し、音響を能動的に「設計」するための羅針盤となる。

アンプシミュレーターは、我々を「過去の銘機の音を模倣する」という行為から解放し、「過去の銘機の個性を自在に組み合わせて、未知の音を創造する」という新たなステージへと導いたと言えるだろう。自らの手で未来のサウンドスケープを描くための一助となることを期待し本連載を終了する。

でるたま~く

グローバル戦略の支援企業でCEOを務めています。英国で高校教師を務めた後、ドイツで物理学の研究を続けました。帰国後はR&D支援のマネージャー、IT企業の開発PMを経て現在に至ります。趣味はピアノとギター演奏。

関連記事