Marshall以外の選択肢
前章で論じたMarshallアンプが、1960年代後半から70年代にかけてハードロックのデファクトスタンダードとして君臨する一方、英国の音楽シーンでは、それとは異なる音響哲学に基づいたアンプリファイアが勃興していた。ロックミュージックが大音量化・多様化する中で、すべてのギタリストがMarshallの持つ「パワーアンプの飽和によるドライブサウンド」を求めていたわけではない。
本稿では、Marshallとは異なるアプローチで英国ロックサウンドの多様性を担保した、HIWATT、ORANGE、そしてSOUND CITYという、独自の個性を放つ3つのブランドについて考察する。
HIWATT Custom 100(DR103)
HIWATTは、元Sound Cityの技術者であったデイヴ・リーヴスによって設立された。その設計思想は、Marshallとは対極的とも言えるものであった。
- 音響的特徴:
HIWATTの最大の特徴は、軍用規格(ミルスペック)と評されるほどの徹底した内部配線(ターレットボードを用いた手配線)と、高品質なパートリッジ製トランスの採用にある。
この堅牢な設計は、「クリーン・ヘッドルーム(歪み始めるまでの許容範囲)の最大化」という明確な目的のためにあった。MarshallがEL34パワー管を早期に飽和させることでドライブサウンドを得たのに対し、HIWATTはパワーアンプ部を極めてクリーンかつリニアに動作させることを目指した。 その結果生じるサウンドは、硬質(Stiff)で解像度が高く、大音量でも音像が崩れない圧倒的な音圧を持つクリーン・トーンである。この「歪みにくさ」こそがHIWATTの個性であり、ギタリスト側での精緻な音作り(特にファズやオーバードライブなどのエフェクター)を忠実に再生する、理想的なプラットフォームとして機能した。 - 適合ジャンル:
プログレッシブ・ロック、アリーナ・ロック - 使用アーティスト:
ピート・タウンゼント(The Who)は、MarshallからHIWATTに乗り換えた代表的なギタリストであり、その硬質なクリーンサウンドは彼のカッティング奏法と不可分に結びついた。また、デヴィッド・ギルモア(Pink Floyd)もHIWATTを長きにわたり愛用し、その広大なヘッドルームを基盤に、ファズ(Big Muff)やディレイを組み合わせた幻想的なサウンドスケープを構築した。
Orange Graphic 120(Pics Only)
1968年にロンドンで設立されたOrangeは、その鮮やかなオレンジ色の外装と、コントロール類をグラフィカルなピクトグラム(絵文字)で示した「Pics Only」と呼ばれるフロントパネルで、視覚的に強烈なインパクトを与えた。
- 音響的特徴:
初期のGraphic 120モデルは、一般的なTreble/Middle/Bassのトーン・スタック(Fender/Marshall型)とは異なり、高域と低域を独立してブースト/カットするBaxandall型EQをプリアンプ部に搭載していた。
このプリアンプ部はゲインが高く設計されており、アンプ単体でMarshallとも異なる、アグレッシブで荒々しい、ファズ(Fuzz)にも似た独特の歪みを生み出した。そのサウンドは、中音域に強いクセを持ち、サイケデリック・ロックや、後のストーナーロック、ドゥームメタルといったジャンルの音響的基盤となっている。 - 適合ジャンル:
サイケデリック・ロック、ハードロック、ストーナーロック、ドゥーム - 使用アーティスト:
初期のブラック・サバス(Black Sabbath)のトニー・アイオミが使用したことで、その重厚なサウンドイメージが確立された。また、ジミー・ペイジ(Led Zeppelin)がレコーディングやテルミン演奏用に使用した例も知られている。
Sound City 50 Plus Mark2
Sound Cityは、元々大手楽器店Arbiterが展開したブランドであり、その初期のアンプ設計には前述のデイヴ・リーヴスが関与していた。
- 音響的特徴:HIWATTの原型とも言える設計思想を持ち、Mark2モデルではEL34管を採用しつつも、Marshallとは異なる、クリーンでパワフルな音響特性を志向していた。HIWATTほどの徹底したクリーン・ヘッドルームではないものの、ロックミュージックに必要な音圧と、エフェクターの乗りが良い素直なプラットフォームとしての特性を備えていた。
- 適合ジャンル:クラシックロック、ブルースロック
- 使用アーティスト:T. Rexのマーク・ボランが使用し、そのきらびやかでバイト感のあるロックンロール・サウンドの一翼を担った。
デジタルモデリング環境への応用
アンプシミュレーターにおいて、Marshall(Plexi)モデルがミッドレンジの粘るクランチ・サウンドの代表であるならば、本稿で取り上げたアンプ群は、それとは明確に異なる音響的選択肢を提供する。
- HIWATTモデル:
「歪まないアンプ」としての活用が基本となる。クリーン・カッティングはもちろん、アンプの前段にファズやディストーション・ペダルのシミュレーターを配置し、それらのエフェクターの個性を忠実に、かつ大音量で再生させる「ペダル・プラットフォーム」として最適である。 - Orangeモデル:
MarshallやSoldanoとも異なる、独特の飽和感を持つ「荒々しい歪み」を求める際に使用する。特に中低音域にフォーカスした重厚なリフに適している。
まとめ
1970年代の英国ロックシーンは、Marshallという巨大な潮流と並行し、HIWATTの「硬質なクリーン」、Orangeの「ファジーなドライブ」といった、多様な音響哲学が共存する豊かな時代であった。
しかし、70年代後半から80年代にかけて、ロックはさらなる変革期を迎える。ハードロックはヘヴィメタルへと進化し、ギタリストはアンプ単体で、より深く、よりアグレッシブな歪みを求めるようになる。次章では、この要求に応え、80年代のスタンダードとなったMarshall JCM800と、それを超える「ハイゲイン」という概念を生み出したモディファイ文化について論じる。