さらなる歪みへの渇望
1970年代後半、ハードロックはNWOBHM(New Wave of British Heavy Metal)やLAメタルといったムーヴメントに代表される、よりアグレッシブでテクニカルな「ヘヴィメタル」へとその姿を変貌させつつあった。この音楽的進化は、ギターアンプリファイアに対し、新たな技術的要求を突きつけることになる。
前章までの「プレキシ」マーシャルに代表されるアンプ群は、その歪み(ディストーション)を主にパワーアンプ部の飽和によって生成していた。これは「パワーアンプ・ディストーション」と呼ばれ、強大な音圧と引き換えに、制御が困難なほどの大音量を必要とした。80年代のギタリストたちが求めたのは、それとは異なり、「より低い音量で、より深く、より意図的にコントロールされた歪み」であった。この要求に応えたのが、プリアンプ段で歪みを生成する技術、すなわち「プリアンプ・ディストーション」の確立である。
Marshall JCM800(Model 2203/2204)
1981年に正式に登場した(原型は1975年のJMP期「Master Volume」モデルに遡る)Marshall JCM800シリーズ、特にModel 2203 (100W) および 2204 (50W) は、この新時代の要求に対するMarshallの回答であった。
- 技術的特徴:
JCM800の最大の技術革新は、「マスターボリューム(Master Volume)」の本格的な搭載にある。これは、プリアンプ部でゲイン(増幅度)をコントロールする「プリアンプ・ボリューム(Pre-Amp Volume)」と、パワーアンプに送られる最終的な音量を決定する「マスターボリューム」を独立させた設計である。 これにより、奏者はプリアンプ・ボリュームを最大近くまで上げ(プリアンプ段を飽和させ)て深い歪みを生み出しつつ、マスターボリュームで現実的な音量に抑制することが可能となった。これは、アンプの歪み生成の主役が、パワーアンプからプリアンプへと移行したことを示す歴史的転換点であった。 - 音響的特徴:
JCM800のサウンドは、プレキシのDNAを受け継ぎつつも、プリアンプ主導の歪みによって、よりタイト(Tight)で、中音域(Mid-range)に焦点を当てたアグレッシブなものとなった。その「ザクザク」としたバイト感(Bite)のある歪みは、80年代のハードロックおよびヘヴィメタルのリフ・サウンドにおいて、まさしく「基準音」としての地位を確立した。 - 適合ジャンル:
NWOBHM、LAメタル、パンク、ハードコア - 使用アーティスト:
ザック・ワイルド(Ozzy Osbourne)、ケリー・キング(Slayer)、トム・モレロ(Rage Against the Machine)など、80年代以降のロックギタリストに絶大な影響を与えた。
モディファイ(Modify)文化の隆盛
JCM800は一つのスタンダードを確立したが、シーンは更なる過激化を続けた。特に米国西海岸(LA)のギタリストたちは、JCM800のストック(工場出荷)状態のゲイン量では飽き足らず、より強烈なサステイン(音の伸び)と飽和感を求めた。
その結果、アンプの内部回路に手を加え、ゲインステージ(増幅段)を追加するなどの「モディファイ(改造)」が、一部の技術者の間で隆盛を極める。エディ・ヴァン・ヘイレン(Eddie Van Halen)が初期に使用したプレキシのトーン、「ブラウン・サウンド」の探求も、このモディファイ文化の文脈で語られることが多い。ギタリストたちは、市販品のアンプを「素材」として、自らの理想のトーンを追求する時代に突入した。
Soldano SLO 100 (Super Lead Overdrive)
このモディファイ文化の真っ只中、1987年にマイク・ソルダーノが発表したSLO 100は、一つの到達点を示すアンプであった。
- 技術的特徴:
SLO 100の本質は、JCM800のモディファイから得た知見を基に、プリアンプ部にカスケード接続された多段ゲインステージ(増幅回路を直列に重ねる)をゼロから設計・搭載したことにある。これは、改造という手段でしか得られなかった超ハイゲインを、製品のストック状態で、かつ極めて安定した品質で提供するものであった。 - 音響的特徴:
SLO 100のサウンドは、「改造マーシャル」の理想形を遥かに超えるものであった。JCM800とは比較にならないほどの深いゲインと、シルクのように滑らか(Silky)で無限とも思えるサステインを誇る。そのリッチな倍音構成と、ピッキングへの正確な追従性は、80年代後半のリードギタリストにとって究極の表現ツールとなった。 - 適合ジャンル:
80sメタル、HR/HM全般、フュージョン(リード) - 使用アーティスト:
ウォーレン・デ・マルティーニ(Ratt)、ゲイリー・ムーア、エリック・クラプトン、マーク・ノップラーといった、テクニカルなギタリストたちがこぞって使用し、その評価を不動のものとした。
デジタルモデリング環境への応用
アンプシミュレーターにおいて、JCM800系モデルとSoldano(SLO)系モデルは、似て非なる「ハイゲイン」として明確に使い分ける必要がある。
- JCM800モデル:
80年代的な「ザクザクしたリフ」の基本となる。単体でのゲインは現代のハイゲインアンプに比べれば控えめである。実機同様、アンプの前段にオーバードライブ・ペダル(Tube Screamer系など)のシミュレーターを「ブースター」として配置し、ゲインとアタック感を補強するのが定番の音作りである。 - Soldano (SLO) モデル:
単体で十分すぎるゲインと飽和感を持つ。特に「リード・チャンネル」は、ギターソロに最適であり、外部ブースターを必要としないほどのサステインを提供する。歪みの「質」がJCM800よりもキメ細かく、滑らかである点が最大の相違点である。
まとめ
Marshall JCM800が「マスターボリューム」によるプリアンプ・ディストーションをスタンダード化し、Soldano SLO 100がカスケード・ゲインステージによって「モダン・ハイゲイン」という概念を完成させた。80年代は、アンプの歪みがプリアンプ主導へと完全に移行し、ギタリストが求める歪みの量が劇的に増加した革命の時代であった。
しかし、このハイゲイン化の潮流は、MarshallとSoldanoが牽引したものだけではない。同時期、米国西海岸ではもう一つの「ハイゲイン」の系譜が、独自の進化を遂げていた。次章では、Fenderアンプの改造から始まり、独自のハイゲイン哲学を確立したMesa Boogieの革命について論じる。